時空混沌渦

キモオタク道、ここに極まる。

承認欲求。

 

 

 

今日感じたのはやはり私は、承認欲求が強いのだということ。

 

自分用だと宣うこのブログの公開設定を限定しないのも承認欲求から来ているものなのだと思う。

 

決して見て欲しくないのだけど、このブログをもし誰かが見つけて、私の気持ちに共感してくれることを期待している節が多分あるのです。

 

本題に入りますが、私はとある声優さんを応援しています。

 

そして、私の承認欲求はついにその方にまで及んでしまっていたようです。

 

ストーカーとかそういう怖い話ではなくて、その方に承認されたいという欲求が少なからず私の中に存在しているようです。

 

その方が催されるイベントにおいて、ファンが送った質問・要望に応えるようなコーナーが設けられていました。

 

その方は今をときめく有名声優、当然イベントに参加している百人単位の質問・要望すべてに応えられるわけはなく、そのイベントの場合は抽選形式で送られてきた質問・要望を選んで応える形をとっています。

 

私はそのコーナーで読まれませんでした。

 

それがショックだったのです。

 

それは今回に始まったことではなく、この1年半ほど続いていることなのですが、今まではそのショックを認めていませんでした。

 

多分そこにあったのはあの人にペンネームを読んでほしい、自分の出した質問・要望に応えて欲しい、といった承認欲求だったのではないかと思うのです。

 

私はこの自分の中にある醜い欲求に気付きながらも無視を続けてきました。私にとってこの欲求は認めたくないものであり、認められるものではないからです。

 

承認されたくてイベントに行くのはおかしい、という常識が私の中にあるからです。

 

そして、あの人に対してはクリーンな気持ちで応援すると決めていたからです。

 

でも、それでいいのではないかとも思うのです。

 

私の中の常識が簡単に180°変わるということは無いですが、少しの変化はあってもいいと思うのです。

 

承認されたいがためだけにイベントに行くという行為は私は好まないということは変わらないのですが、「あの人に承認されたい」という気持ちを持つことは許容してもいいのではないかと思えてきたのです。

 

今まで私はそういった自分の中に存在する承認欲求から尽く目を背け、その逆の行動を取り続けてきました。

 

時々開かれるあの人から特典などを直接手渡してもらえる俗に言う「お渡し会」では承認欲求に逆らうように「覚えられたくない」という思いを強くし、絶対に自分のペンネームは名乗らない、覚えられるような行動をしない、ということに努めて来ました。

 

どんな状況でもそこは絶対に曲げないという頑な意思で続けてきました。

 

しかし、承認欲求に逆らうことにこだわりすぎた反面、本当に伝えたかったこと、本当に話したかったこと、すら口に出来ていなかったと思います。

 

覚えられてしまうような発言は控える、ということに固執して発言が絞られる。

 

冷静に考えて、「覚えられたくない」なんてことはないのです。いや、「覚えられたくない」と思っている人は少なからずいると思いますが、そういった人達は私のような人間かそもそも承認欲求が存在しないあるいは対象の人物に対してまで及んでいないという特別な人達なのではないかと思います。

 

私は後者のような邪念を持たない特別な人間ではないのです。だというのに特別な人間になろうとした結果が承認欲求の否定なのです。

 

俗人が持つ承認欲求という醜い欲求を否定することで自分という存在を昇華させようという狙いが私の中にはあったのです。

 

それも自分は他と違うと他者に承認されたいという承認欲求に相違ないんです。

 

そうやって承認欲求を否定することで大切なものを見失うことだってあります。

 

だから、承認欲求は受け入れるべきであると考えました。

 

しかし、承認欲求の奴隷にはなってはいけないという最低限の自制はこれまで同様働かせていく所存です。度が過ぎる承認欲求によってあの人の心に傷をつけてしまうようなことは承認欲求云々以前に私が最も望んでいないことだからです。

 

度が過ぎた承認欲求は危険思想足りうるものですが、程よい承認欲求なら寧ろ受容してしまって、ポジティブに生きていく方が今までよりかはマシな生き方なのではないかと結論づけました。

 

ペンネームを名乗ってみてもいいかもしれませんね。私の中の羞恥心と相談してみます。